読者からのお便り

サルスベリの花が満開

 石段を包む林から「ツクツクホーシ」と鳴いていた蝉の声が、止んだ。小さな赤い鳥居の下に立って見上げると、岡本稲荷神社へ上る石段は、「ふうーっ」とため息が出るほど急だ。朝8時、鳥居下で岡本集落の婦人たちが、しゃがんで草取りに熱中している。料理が得意な蓑添美智代(みのぞえ みちよ)さん(68)は、草取りをしながら、片手にビニール袋を提げてムカゴを拾う。
 今日は、稲荷神社の「おこもり」だ。「おこもり」と言っても、お堂に籠もって特別な祈願をする訳ではない。岡本集落18世帯から一人ずつ出て、山頂にある稲荷神社境内と参道の石段を掃除し、午後からは集落総出で直会(なおらい)を行うのだ。
 今年は特別に、組長の田中孫彦(まさひこ)さん(63)の計らいで、先の大雨で石段の土が流されたため、鉄筋を打ち込んで石段を補強することになっている。石段の補強を済ませた男衆が、次々と上へ移動した後、数人が腰をおろし、ひと休みとなった。
 「テレビでも蛇が出たら、スイッチ切るくらいやのに、マムシに咬まれてしもて」と、村上道子さん(77)が、災難にあった息子さんの話をしている。「足首をすぐにくびってね、救急車に来てもろたんよ。普通の草履を履いとったから、食い付きよかったっちゃろ、あんた。3日ぐらい点滴を外されんでね」
 「痛てえど。食い付いた時はそげないけど、後が痛い。点滴しようけんが、アレルギーがあったら打たれんけん」
 「マムシは二つ穴があるきね。歯形がね。首を切っても、しかかってくるね」
 「マムシは同じ所に住むちゅうじゃない」
 「玄関のそこやけ。そやから玄関から出きらんたい」
 皆が自分の体験や知識を披露し始めて、話が弾む。その中で、まっさらの地下足袋を履いている加藤隆則さん(77)の足元に皆の視線がいった。「きのう買うてきて、今朝、下ろしたんよ」と、菊作りをしている加藤さんは、ちょっと照れ笑い。

村上道子さん、自宅で


神社境内にアブラゼミ

キウイフルーツが
実る簑添さんの畑


掃除を終えて急な石段
を下りる

岡本集落の田んぼにダイサギ


光明寺下の畑でキヌガ
サギクの仲間が満開

鉄筋を石段に打ち込む
木下雅輝さん(26)

高齢化で200年の歴史途切れ 青年たちが有志で立て直す
 福岡県田川郡赤村は、明治22(1889)年に旧赤村と旧内田村が合併して以来、123年間も同じ村制を施行している。赤村のキャッチコピー「百年の村」の由来である。
 修験道場の三大霊山として知られる英彦山(ひこさん)を源流とする今川とその支流に沿った細長い盆地に集落が点在する。岡本集落は、赤村7区の上赤地区に属し、1、2年生だけが通う赤小学校上赤分校がある。
 今春まで上赤地区の区長を22年間務めた小川次男さん(80)は、岡本集落の誰もが「小川先生」と呼び、敬愛する集落の重鎮だ。「赤村ほたるの会」と「赤村山野草の会」の会長を、現在も務める。
 8月末、赤村ほたるの会が川ニナを養殖している水槽へのパイプを、修理することになった。灌漑(かんがい)用水路に小さな堰を作り、そこから100メートルほど離れた川ニナの養殖場へ水を送る仕掛けなのだ。しかし、パイプから出る水は、中に空気が入ったのかドックンドックンと脈打つような流れ方だ。
 「おい、養殖場に水が来よるか、聞いてみよ。携帯貸して」
 「汗出る仕事しよるけん、携帯持っておらんたい。いつもあんた不携帯かと言われるけど、持っちょっても軽トラに入れとるけん、出られやせんたい」
 三浦壮彦(たけひこ)さん(80)と上田實さん(69)の会話は、埒(らち)が明(あ)かない。結局、田んぼの隅を利用した養殖場へ行ってみることになった。100メートルほどだが、各々が一斉に軽トラで移動だ。
 川ニナ養殖場の水槽には、チョロチョロだが水は送られてきていた。しばらくはパイプを揺らしてみたり叩いたりしていたが、これ以上は望めないという結論に達したようだ。「ホタル1匹が川ニナ40匹を食べるそうですたい」と、小川さんが教えてくれる。赤村ほたるの会の考え方は、ホタルを他所から持って来て放つのではなく、「自然を豊かにしてホタルを増やそやないか」。そのための餌になる川ニナを養殖しようというのである。
 誰とはなしに引き上げる雰囲気になる。小川さんが、皆に相談があると言い出した。
 「県から河川保護について勉強会の案内が来とるけど、どないするか」「もう俺らはええわ。年齢制限して若いもんに行ってもらわな。俺らは、すぐ飲み会の話になるけん」「そうのう、焼酎の出らん飯は食いたくないの」「ほんなら、欠席で出しとくけん」「そうしといて」
 一件落着して、三浦さんが、軽トラの荷台に積んでいた新しい鎌を「ホームセンターで買うてきた」と、ちょっと自慢げに皆に見せる。すかさず上田さんが手に取って「こりゃ重たい。こりゃ20代が使う鎌たい」と、容赦がない。
 若い時からの仲間だから、みんな言いたい放題。それが、いつまでも仲間であることの秘訣なのかも知れない。
 福岡県田川郡で小学校教師を40年間勤めた後、22年間も上赤地区の区長を務めてきた小川さん。赤村は農村地帯でありながら機械化が進んだために、田んぼに入ることはほとんどない。「赤村の子どもたちは、米作りを知らんまま赤村を出ていくんよ」。そんな実情を、教師の時代に見てきた。区長になってすぐに始めたのが、上赤分校の子どもたちに米作りを体験させること。自分の田んぼの一角を提供して、苗作りから田植え、稲刈り、脱穀、注連縄(しめなわ)作りまで、一貫した米作りを体験できるようにしたのだ。
 22年間の区長時代には、苦い思い出もある。
 毎年5月に行われる光明八幡神社の神幸祭(じんこうさい)で、神幸の山車(やま)が立たない事態が起こった。
 「毎年、高さ20メートルほどの山車が2台出るんですけど、約200年続いた神幸祭の歴史の中で、1年だけ立たなかったんですよ。高齢化でですね。4年置きに山車の順番が集落に巡ってくるんですけど、受け取る方が、受け取れんとなってですね。区の総会を開いたんですよ。そこで記名投票してもらったら、立てるのに反対の方が多くてですね。私も余裕が無かったんですね。大事な問題だから一晩考えさせてくれ言うくらいの余裕があったらと、今でも悔やみますけどね」
 「ところが、山車が立たんかったことがきっかけで、青年有志の会ちゅうのが出来て、大切な歴史を絶やしちゃいけんちゅうことで、翌年からは又、山車を立ててもろとるので、良かったなと思うとります。そん青年たちが皆、分校を卒業した子どもたちなんですよね。地元に居るのは4、5人ですよ。でも神幸祭にはよそから帰ってきて、何かあれば心が一つになると言うですかね。その点は、私は感謝しとるんです」
 「上赤から嫁に出て行く時は、山車の幟(のぼり)を置いて行くんですよ。そういう習慣があってですね。昔は、年に10人も20人もこっから嫁に出て行きよったですからね。新しい幟ほど前に立てるんです。初めての年には、婿さんを連れて帰ってくるじゃないですか。そうすることで繋がりが出来ますからね」
取材地
●取材地の窓口
赤村役場 政策推進室
〒824-0432福岡県田川郡赤村大字内田1188番地 電話0947-62-3000

●取材地までの交通
JR小倉駅から日豊線でJR行橋駅へ、所要時間約30分、料金は450円。行橋駅から平成筑豊鉄道で赤駅又は油須原(ゆすばる)駅へ、所要時間約40分、料金は490円。それぞれの駅から取材地の岡本集落へ行く村内の交通手段はありません。柚須原駅から岡本集落までは約2.5キロ、歩けば30分余り。
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