読者からのお便り

イチイの実が赤く熟れていた

 タイル貼りの玄関先に、角が丸くなった長さ1mほどの「火の用心」と書かれた板が立て掛けてある。よく見ると、縦に割れたところを繋ぎ合わせた跡もある。早川集落の人々が火の番板と呼ぶこの板は、100年を超えて集落の各戸を順繰りに回り続けているのだ。
 「すぐ回しちゃ悪いから、2、3日置いて次に回すだよ。次々回すと、人が少なくなってすぐ回ってくるからね」と、秋山実江(じつえ)さん(79)は、気配りをする。回覧板は集落の上へ回り、火の番板は下へ回ることになっている。秋山さんの次は、区長さんの家に火の番板が回るのだ。
 早川集落で生まれ育った早川俊英(としひで)さん(80)の記憶では、30年ほど前までは、火の番板が回ってくると、火の用心に家々を回ったそうだ。
 「板が来ると、昔は、45軒くらいあった全部の家庭を、一軒一軒、玄関の戸を開けて『火の用心でごいす』と声を掛けて回るです。毎日、誰かが回ってくる。年寄りは子守りをしながら、子どもは学校から帰ったら、『今日は火の番だから回ってこいよ』という風にね。これ一軒なしですよ、昼間ですよ、夏も冬も。冬になると、集落の上にあった火の番小屋に詰めて、夜回るのもやったですよ、昼とは別に。3人ぐらいでね。家の人は寝てても、玄関を開けて『火の用心でごいす』と声を掛ける。3人だから3回来る訳ですよ。夜の9時、10時、午前1時になるかね。夜、田舎ですから鍵は掛かっていませんから、戸を開けてね『火の用心でごいす』と言えばね、火の気があれば分かるでしょう。それが火の用心ですよ」
 山梨県南巨摩郡早川町は、富士川の支流早川の流れに沿って集落が点在し、1,230人(2012年10月1日現在)が暮らす日本で一番人口の少ない町である。南アルプスの山々が北と西に聳え立ち、急な斜面のわずかな平地を利用して家々が建ち並ぶ。そんな中で比較的傾斜が緩やかな早川集落は、南北に38kmもある町のほぼ中央に位置し、畑や水田もある人口24人、20世帯の集落だ。
 町の動脈である県道37号線が、早川集落の下を流れる早川を挟んで南北に貫いている。現在の早栄(そうえい)橋が1978年(昭和53)に架かるまでは、県道と早川集落を繋ぐのは、一本の吊り橋しかなかった。冬になると、標高約460mの早川集落には、毎年、雪が降り積もった。

玄関先の火の番板


火の神様として祀られ
ていた木像


空き家の庭に落ちてい
たギンナン


火の番板が回ってきて
いた秋山実江さん

車庫前のゴザに干してあったツルアリインゲン


朝露に濡れた茶の花

早川の河原へ下る道沿
いの道陸神
(どうろくじん)

 「火の番板が、自分の家に来ていた時に雪が降るとね、向こう3軒でね、時間を決めて吊り橋の雪掻きに行くですよ。うんと降る時にはね、帰る時に、また掻きたくなるくらい積もるですよ。とにかく長さ160m、幅2mの橋ですから。帰ってくると『火の番板だよ』と板を次へ渡してきちゃう。この降りじゃ、すぐ行った方がいいよ、ということになるし、夜中でも、ぐずぐずしているとね、雪が積もってね、その重みでね、橋を落としてしまうと交通手段はありませんから。160mを3人で掻くのだから、次の人たちもすぐ行くですよ。その次の人もすぐ行くとね、ひと晩のうちに、又、回ってくる時もあるですよ。寝ている暇はないですよ、ええ」
 ちょうど火の番板が回ってきている実江さんも、吊り橋当時の雪掻きの大変さを思い出したようだ。「夜中だからね。60cmも70cmも、みゃくみゃく降るだからね。1時間おきに板が回ってきて、夜中の1時でも2時でも、雪掻きに行ったですよ」。
 その吊り橋を支える県道側の金具が、雪の重みで壊れ、橋が傾いたことが一度だけある。1946年(昭和21)のことだ。
 「ワイヤーの一本がちぎれて傾いてね。落っこちやしなかったけど。復旧もかなり時間が掛かりましたよ。そん時には、当番の人たちは、かなり責任を感じたでしょうね。誰であったか、よく分からないけどね」。当時、中学生だった俊英さんは、山越えの道を通学したそうだ。大人たちは、冬で、水が少なくなっている早川の河原まで降りて、水が流れている所には丸太の橋を架けて対岸まで渡った。
 家の人は寝ていても、雪の夜に「火の用心でごいす」と声を掛けて回った早川集落100年の汗と涙の歴史が、二つに割れ、角が丸まった火の番板に染み込んでいる。

高齢化で200年の歴史途切れ 青年たちが有志で立て直す

 南アルプスの紅葉が見頃となった週末、南アルプス公園線の愛称を持つ県道37号線には、首都圏や東海地域のナンバーを付けた自家用車が押し寄せた。早栄橋たもとの県道沿いに「早川きのこ園」の看板を立て、庇(ひさし)の下にパック入りの様々なキノコを並べた店が出ている。早川町は多雨冷涼地域であるためキノコが育つには好条件なのだ。店の主である早川正治(しょうじ)さん(58)は、高校を卒業した後、東京や甲府で会社勤めをしていても、故郷の自然の中で暮らしたいと思い続けていた。父親の体調が思わしくなかったため、帰郷して実家の養豚を継いだが、1987年(昭和62)からはシイタケ栽培に切り替えた。店頭に並んでいるのは、ナメコやクリタケ、ムキタケ、ヒラタケ、ナラタケ、生シイタケなどと、マツタケが2本入った1万2千円のパックも並ぶ。
 「本数は少ないですけど、マツタケも採れますよ。早川は、温度差が大きいのが良いけど、雨はもっとあった方が良いね。キノコで生計を立てられると思って始めたけど、今は、外国産に押されて価格破壊でね。それでも、山へキノコ採りに行くのは病気だから、雨が降ろうが体調が悪かろうが、止められないよ。キノコ採りは、保育園の宝探しみたいなもんですよ」
 翌朝、クリタケを採りに行く正治さんと一緒に山へ入った。山へ入ると言っても、早川集落がそもそも山の中にある。集落から車でわずか2、3分。杉林の中の比較的平坦な場所を利用し、自然の中でクリタケ栽培をしていた。最低限の環境整備をしてキノコの菌を植え付けるだけ、後は、自然の条件に任せてキノコを栽培しているのだ。ひんやりした空気が漂う杉林の中に入っていくと、番犬の「悟空」が尻尾を振って飛びついてきた。「山の中で独りにしておくのは可哀相だけど、鹿や猿がキノコを食べに来るのでね」。正治さんは、悟空の頭をちょっと撫でてやると、斜面になっている林の奧へ小走りで入って行く。後に続くが、正治さんの姿はすぐに見えなくなった。音を頼りに追い付くと、すでに幾つかのパックがクリタケで一杯になっている。「このクリタケは極上ですよ。私が食いたいくらい」と、嬉しそうにパックのキノコを見せてくれた。
 朝、採った新鮮なキノコを店頭に並べるために、時間と勝負のキノコ採りだ。 小走りで次々と場所を移動し、クリタケとナメタケでパックが一杯になると、すぐに店開きである。

取材地
●取材地の窓口
早川町役場 振興課
〒409-2732 山梨県南巨摩郡早川町高住758 電話 0556-45-2511

●取材地までの交通
1)中央自動車道を通って自家用車を利用する場合は、甲府南I.C.から笛吹ライン(国道140号)を経由し、国道52号を経て身延町「飯富」交差点を右折、又は、上沢交差点を右折し、南アルプス公園線(県道37号)に入り早川町へ。35km、約1時間。

2)東名高速道路を通って自家用車を利用する場合は、清水I.C.から国道1号線を経由し、国道52号の身延町「上沢」交差点を左折、南アルプス公園線(県道37号)に入り早川町へ。60km、約1時間30分。

3)JRとバスを利用する場合は、JR中央線甲府駅から身延線に乗り換え、身延駅または下部温泉駅で下車。ここらは早川町乗合バス「奈良田温泉行き」で早川町へ。一日に4本。