読者からのお便り

千鉢集落外れのお地蔵さん

 両側が深い谷になっている尾根の細道を歩いていると、急斜面の段々畑に、みかんを収穫している男性の頭が見えた。
 「ここは南向きで温(ぬく)いろ。15日に出荷するんやけど、早よ穫らんと、間に合わんやろ。500キロ出さなならん。雪が降ったら、これやられるからな」
 山本純(じゅん)さん(72)が、ひとりで三宝柑を収穫していた。
 「これ、くり抜いてゼリーにするのや。出荷する大きさがあるさかい、穫るの難しいよ。食べて味ええのは、5月とか6月やな。今は酸(す)いわ」
 純さんは、アルミ棒の先にハサミが付いた高枝ハサミを3本準備している。「年取ってきたから、樹に上がってええ穫らん」と、長さの異なる3本を使い分けているのだ。「8年前に脳梗塞でな。朝起きたら箸で掴めんでな、それで分かったんや。右手は、まだ悪いよ。ハサミ持つのに具合悪いよ」
 長いハサミで三宝柑を一つ一つを丁寧に収穫し、大きさを測る黄色いプラスチック板で、規格を確かめながらコンテナに詰めていく。
 「今日な、新しく生まれたら、孫が4人になるんや。男らしいわ」。純さんの口元がちょっと緩んだ。同居している娘さんに、2人目の子どもが出来、臨月を迎えているのだと言う。純さんの奥さんは、何時でも病院へ同行できるよう自宅で待機しているのだ。
 「父は戦争で死んで、僕は兄弟ないんやで。母と田んぼの世話しよったんよ。母が死んだのは9年前かな。母が苦労したな。ミルクも物々交換せなあかんかったんや。22歳で後家さんになったんと違うか。父は僕が2つの時に出征して行って、中支(注:華中/黄河と揚子江で挟まれた地域)で病気になったんや。栄養失調になったん違うか」


朝霜の付いた草


川上神社の鳥居


白の山茶花


三宝柑

霜が降りた早朝の畑で


土壁に暮らしの歴史が見える

稲が短くてぇ家の前のハザには掛けられん
鎌で雑草刈って、歩いて一条ずつ稲を刈る
 和歌山県田辺市上秋津地区は、東に高尾山(606m)北に三星山(549m)西に竜神山(496m)南は衣笠山(234m)に囲まれた小さな盆地だ。その中央を北から南へ会津川が貫いている。水田となる平地が少ないため、年間の平均気温が16.5℃、平均降水量が1650ミリという気候を活かし、古くからみかんの栽培が盛んな農村である。上秋津地区には、会員約470人で構成される公益社団法人上秋津愛郷会がある。会員の条件は、昭和32(1957)年から上秋津地区に住んでいることだ。昭和32年の合併の際、旧上秋津村の村有財産の所有権を愛郷会へ移し、地域の振興、学校教育の推進、治山緑化のために、資金を提供するなどの活動を続けてきている。
 「おい、先生」と、私に声を掛けたのは、電動剪定ハサミのバッテリーを背負った山本博市さん(66)だ。「高尾山行ったことあるか、先生。上秋津愛郷会の山や。それを14区画に分けて入札するんや、松茸や。最高価格160万円、最低は2万円。一昨年は、ええとこやったら3000本くらい生えたかな。我々のとこでも1000本、今年で市場価格キロ6万から7万円や、12、3本で1キロや。大きいの小さいの突っ込みで3000本ということでっせ。和歌山でも一番から三番に松茸が生える山や」と言うと、私を軽トラックの助手席に乗せ、高尾山の山頂へ向かった。ハンドルを握って登山道を走らせながら、博市さんは「たかおの山をあおぎつつ 文の林にわけいらん」と、子どもの頃に通った上秋津小学校の校歌を歌い出した。
 梅の剪定を途中で止めさせて、高尾山へ案内していただくことになってしまった。「あそこの畑が終わってからも、まだ梅100本あるからよ。あと一か月くらい剪定せなあかんからな。その後も、5月終わりから6月いっぱい青梅を出荷するため、本業の大工の仕事はでけんのや。あわてんでええ。お母ちゃんには、月末に生活費を渡したら、わしがどこ行くか言うたことないんや」「えーっと、高尾山の麓で生まれ育って65年余り。皆様方の笑顔を心の糧として、毎日、頑張っております」。
 急に香具師(やし)の口調になっておどけてみせた。仕事を中断させてしまって恐縮している私への博市さんの気遣いなのだ。
ニラは種飛んでガツガツ増えトマトは、腹いっぺ取ったし
 上秋津地区は今、出荷時期を迎えたみかんの収穫とこれから収穫する清見(きよみ)オレンジや不知火(デコポン)の袋掛け、それに梅の枝を剪定する作業の最盛期なのだ。昭和から平成へ移行する頃の10数年間は「梅バブル」と言われ、梅農家は稲作農家と比べ反当たり10倍もの収入を得ていた。その頃、田辺市や隣接するみなべ町の多くの農家がみかんから梅へ転作したが、上秋津地区の農家は、梅への一部転作と共にみかんも続ける複合経営を選択している。
 「長い目で見た時に、梅だけでなくみかんも作り、多品種で年間を通じて収穫していく方が、安定するんじゃないかということで……」と、梅の剪定をしていた栗山和明さん(62)は、複合経営を選択した理由を説明する。栗山さんの梅畑は、杉ノ原集落から軽トラック1台がやっと通れるような曲がりくねった急坂を上り詰めた、山の頂上付近にあった。
 「梅の剪定を早くしないといけないのに、剪定に追われているとみかんの袋掛けが間に合わない。一週間も10日も掛かるし、体はどこもここもガタガタですや」と、仕事に追われて愚痴も出る。
 ここの梅畑には、南高(なんこう)が30数本と紀南農協が独自に開発した梅酒用のパープルクイーンが24、5本。
 「将来的にパープルクイーンになるか南高になるか、図りかねているところですわ。これからは梅干しだけでなしに、加工系の梅が好まれるとは思いますけど。剪定は、一本の樹だけの成長を考えるのではなくて、隣の樹との兼ね合いで剪定する枝を決め、2本から3本の幹を作っていくのが理想。モノラックのレールとの関係も出てくるし、頭使いますよ」
 栗山さんは、剪定を急がなければと言いながらも、お茶の時間はきちんと休み、日暮れまでに少しは時間がありそうなのに、午後5時になるとパッと仕事を切り上げて帰宅していった。確かに、ここであと数十分頑張って仕事をしてみても、翌日には翌日の仕事が待っているのだ。途切れることのない毎日の作業の積み重ねが成果に結びつく、息の長い農業という仕事のあり方を教わった気がした。
喪に服し、自慢のキリコが今年は中止地図から抹消されるとこに住んどる
 翌日の朝早く、栗山さんの梅畑下のみかん山では、橘辰男さん(73)が三宝柑を収穫していた。橘さんは、出荷規格の大きさにした針金の輪を左手に持って、三宝柑の一つ一つに当てながら選び穫っている。橘さんは、若いころ重機関係の仕事をしていた兼業農家だった。
 「昔、景気の良かった頃に、懐暖かいし、まだ若かったから、よし行くか言うてね。10人ぐらいのグループで、あっちこっち行きました。今やったら金に換えられんええ想い出になりましたわ。ハワイで撮ったフラダンス踊るお姉さんと一緒の写真、引き伸ばして飾ろかな思うとりますのや。あのお姉さんもええ歳になったと思うよ。中国の桂林でフランス人と一緒に撮った写真もありますよ。やっぱり色んなとこ見とかなね。孫が京都の大学に行きよんのですけどね。おじいちゃんがお金出してやるから、色んなとこ見とかなと言うたんのやけど」
 橘さんは、私が帰ろうとすると、ポンカンがいくつも生っている長い枝を伐って、ひと握り持たしてくれた。
喪に服し、自慢のキリコが今年は中止地図から抹消されるとこに住んどる
 上秋津地区の集落を繋ぐ道は、細く迷路のように複雑で急坂だ。歩いていると、人家もないのに道路脇にバイクが止めてあったりする。そんな所では、人の姿は見えなくても、近くの山でみかんの収穫や袋掛けの仕事をしていることが多い。県道209号から下畑集落へ上がる道を歩いていると、黒いバイクを一台発見。袋の掛かったみかんの下を潜って中に入ると、脚立に乗っている滝本和明さん(61)と出会った。前掛けの大きなポケットから左手で紙袋を一枚バサッと取り出して清見オレンジに被せ、右手のホッチキスで留める。その間、3、4秒。
 「一個一個やからなあ。何枚もしよったら、親指がだるうなってきますよ。袋掛けは、防寒対策と変色対策やな。寒さ焼けちゅうか、色が褪せてくるからね」
 「今年は、ヒヨドリの被害が少なかったから、例年だと防鳥ネットを畑全体に被せて冬を越すんですよ。それでもメジロは入ってくるんですよ。入ってくれば出られんでしょう。もう食べ放題。一次産業は苦労の連続」
 「葉付きポンカンということで、今、息子が出していますわ。温州みかんも葉付きで出荷します。越冬樹熟早生温州いうて、宮川という品種です。完熟を始めたんが、この紀南地方でね。もう40年くらいになるかね、東京市場の青果部長が視察に来た時、ジュース用の鉄コンテナに入っている小さな温州みかんを食べて、こりゃ旨いということで、越冬みかんが始まったんです。その越冬樹熟にしても今じゃ値を抑えられるし、どれを作ってええかも分からんし、やっぱり関東で売れるような品種を作らないと…」
 仕事の合間に少しずつ話を聞かせてもらっただけでも、作業の身体的な負担や野鳥との闘い、市場との関係、生産品種への迷いなど、自らの努力や判断だけでは解決できない農業の課題が垣間見えてくる。


取材地
  • 取材地の窓口
    田辺市役所 産業部商工振興課
    〒646—8545 和歌山県田辺市新屋敷町1番地
    電話 0739-26-9970 Fax. 0739-22-9898

  • 取材地までの交通
    最寄り駅は、JRきのくに線の紀伊田辺駅。田辺駅前から龍神バス(Tel.0739-22-2100)で上秋津(西原)行き、又は、龍神温泉行きに乗り、上秋津バス停で下車。1日に9本運行している。所要時間は約15分、料金は280円。旧上秋津小学校の校舎がシンボルとなっている体験型グリーンツーリズム施設の秋津野ガルデン(Tel.0739-35-1199)は、上秋津バス停から徒歩5分。