熊野っていうのは、私たちの死後に魂が集う所という意味に、昔はとられていたんです。ところが、本当の熊野古道(くまのこどう)というのは、死後に魂が集まるんじゃなくって、熊野古道(ふるみち)を旅することによって、つまり修行することによってのみ、生きながらにして蘇(よみがえ)ることができる。それが熊野古道なんだよという意味なんです。
それと、「熊野」という、この言葉。確かに動物の「熊」っていう字を書いてあるんですけど、あくまでこれは当て字でございます。本来の「くま」っていうのは「隈」という字。「すみ」とか「はしっこ」という意味なんです。で、私たちが知っている動物の熊も、あの姿形を「くま」と呼んでいる訳ではなく、本来は、山の奥の隅っこに居るべき動物ということで「くま」と呼んでいるので、あの「熊さん」も当て字なんですよね。歌舞伎でいうところの、あの特殊なメイク。あれを「くまどり」って言うんですけど、あれも「すみ」とか「はしっこ」とか「ふち」っていうような意味合いがあるんですよね。
この熊野本宮に至りましては、「すみ」「はし」よりも更に奥まった所という意味になります。京都から見た時に、本当に隅で端っこ、そのさらに奥まった所。ともかく起点は京都からでしたから、長い道のりなので、この本宮までだいたい二百六十キロなんです。田辺までが二百キロ、京都を起点としてですよ。王子としては、その当時「八軒家浜(はっけんやはま)」と言って、今は「窪津王子(くぼつおうじ)」、大阪は中央区です。ここを出発として、王子王子を巡りながら、それが道しるべになっていたと。だいたい二キロから三キロごとに王子社というのは配されてありますので、それを巡ることによって道しるべにもなり、一般庶民はそういう所で野宿もしていると……、はい。なかなかね、全部を旅籠(はたご)に泊まるということはできないので。もちろん、そういう旅籠街のところも中辺路(なかへち)ルートには沢山あるんですよ。
王子と言うのはね。熊野三山の神様を熊野権現様という言い方をするんです。つまり、熊野三山というのは、千年昔は神仏習合、神と仏を同等としてお祀りしていました。その神仏の集合体といいますか、象徴を熊野権現様と申します。王子は、熊野権現様の子どもの神様をお祀りしてある社です。まとめて九十九王子(くじゅうくおうじ)なんて言うんですよ。日本人ってね、どうも九十九という数に大変こだわりのある民族でございまして、百ではなく、一つ引いた数字が沢山あるということの例えとして、小さなものが沢山あるということを表しています。で、いま現在は、王子が幾つかと言うと九十七。
でもね、その千年昔は、もしかしたらもっと沢山あったかも知れない。ところが後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が、承久の乱というような叛乱にあって以降ですね、ぱたっと来ない時期、廃れてしまう言うんですかね、人が来なくなる。そうなると、古道というものは、たちまち草に埋もれて分からないということもあるので、昔の数が、現在の数かというと疑問です。九十七ある王子社の中で、藤代(白)、切目、稲葉根、滝尻、発心門(ほっしんもん)の五つが、格式の高い王子社という訳です。通常の王子は石碑だけなんです。ここ発心門王子は、格式が高いので社殿が復元されているということです、はい。
上皇さんが最初に、熊野三山にいらっしゃったのが西暦でいうと九百七年ということです。それからずっと色んな上皇さんとか貴族とか、ま、そういう位の高い方がいらっしゃる。後白河上皇もそうですけど、位の高い方が続いて来ると、庶民も、この熊野へ熊野へ熊野へと。行けば自分の苦しみが救われるんだということで、下々まで熱にうかされたかのように、熊野へ行かなければと皆さんが来て下さって、その切れ目なく歩く姿が、まるで蟻が歩いているように見えるということから「蟻の熊野詣」と言われるような事態にまでなってくるんですね。で、また、熊野神社というのは、全国に三千八百社以上あるんです。その傍にあった信仰の人たちが、本家本元の熊野三山にお参りするんだという気持ちを持って来て下すったということになるんです。
私は、伏拝(ふしおがみ)王子がある伏拝集落に嫁に来たんです。私が嫁に来ておかしかったのは「はーなっから、ついとらーだ」と、ここら辺の地元のお年寄りが言うですよ。ここらでは「最初からあそこにはあったよ」という意味のことを、そう言うんです。伏拝王子の横に和泉式部の供養塔があるでしょ。うちのおばあちゃん(姑)が、和泉式部さんのことを話してくれたんですね。「昔はのらお前、女の人が病気になったらよう、みーんな、こそーっと式部さんに参りに来よったわ」。おばあちゃんは大正九年の生まれでしたから、まだまだ女性がね、病気になっても、産婦人科に行くということが一般的ではなかった時代に、病気になったご婦人たちが、人知れずここにお参りして「どうぞ治して下さい」と。そういう信仰のより所だったんですね。熊野古道を歩くと、お地蔵さんが幾つも祀ってあるでしょ。信仰とそのお地蔵さんとが一体になって、この地域を守るんだという気持ちを感じるんですよね。私も、偶然、ここにお嫁に来たのではなく必然性をもって来たであろうと思うので、この地を自分の孫子の代まで伝えていきたいなって、語り部をしていて強く感じるんですよね。