2014年(平成26年)5月・初夏35号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203

東京都の西の外れ、奥多摩で田んぼを探した。5月初旬の取材期間は、ちょうど田植えの時期に重なってるだろうと思っていたからだ。武蔵野の自然を残してはいるものの、都市化が進む羽村市に小さな田んぼを見たことがあると、福生駅前で通りすがりの若者に聞いた。

羽村市役所から多摩川の河岸段丘を下段へつなぐ間坂(まざか)と呼ばれる住宅街の坂を下りて行くと、突然、目の前に広々とした農地が広がった。区画整備された水田と思ったが、水は無く、乾き切った土に、花を切り取られたチューリップの茎だけが残っている。稲作の農閑期を利用して、羽村市が主催する40万球のチューリップまつりが4月末で終わり、球根を採るための時期だった。その殺風景な光景の奥に黄色い花が咲き乱れている畑が見えた。その横で焚き火の煙が上がっているのも目を惹いた。

恐る恐る近寄って焚き火をしている男性に、聞いた。

「この黄色い花は、菜の花ですよね」

営業トークの心得で、相手が「そうですね」と答える会話から始めるとコミュニケーションが上手くいくらしいので、当然「そうだ」の答えを期待しての質問だったが、「いや、違う。のらぼうだ」と、予想外の答。

私には、どう見ても菜の花にしか見えないが、古くから西多摩地方で多く栽培されている「のらぼう(西洋アブラナ)」だと言う。のらぼうを知らない私は焦って、「ところで、何を燃やしているんですか」と、次の話題へ飛ぶ。

「家の庭のナラやクヌギを剪定したんで、その枝を運んできて燃してるんだ。山のようにあったけど、きれいになったね。日の出前から燃してるけど、親父の働きに比ベりゃ、俺なんか半分以下だね。無農薬でやってるから、身体を使う訳だよ。稲刈りした後を見れば、良い田んぼかどうか分かるね。農薬を使っている田んぼは、グランドに稲を植えるようなもんだよ。草1本ないんだから。うちの畑には、カエルもオケラも居るよ。越冬するための藁を畑の周りに敷いてやるさ。こだわりの農業をやってるのは、俺と井上さんくらいのもんだね。減農薬と言っても、農薬をやることには同じだよ」

 

熊手を使っておき火をドーナツ状に広げながら、小林守久(こばやし もりひさ)さん(65)はリゾートホテルに置いてあるような白いプラスチック製のイスを2つ並べて置いた。座れという意向のようだ。守久さんが話す言葉は、少し呂律(ろれつ)が回らない。昨年夏に脳梗塞で倒れ、その後遺症があるのだそうだ。

「朝4時には、目が覚めるね。年寄りのニワトリ起こしって言うけど、朝早いのは親父譲りかな。親父は、よく働いたよな。子どもを育てるんだって、実際に働いている姿を見て影響を受けるんでね。百姓なんて、地域によって条件違うじゃん。それで、自分で考えて自然から学ぶんだよね。二宮尊徳の本を読めば、百姓のこと全部書いてあるよ。尊徳の本の冒頭には『我が教えは書物を尊ばず、故に天地(自然)をもって経文とす』とあるよ。ところで、あんた昼はどうするの」

守久さんの作業小屋に掛けてある時計を見ると、もう昼前だ。

「うちのが弁当持って、もうすぐ来るから一緒に食べるといいよ。おにぎりだけだけどね。二宮金次郎の像は知ってるだろ。全国の小学校にあったもんな。金次郎の像は、小さい子どもが親のために働きながら勉強する『勤勉の勧め』として広がったけど、尊徳になってからのは『物には道理がある』というのが教え。自分の信念ちゅうか。世の中なんて全部知ろうと思うから大変なんだよ。自分の必要なことだけ知ってりゃいいんだよ」

風の向きによって煙を避けてイスを移動させながら、燻り続けるおき火を二人並んで眺めていた。「お、来た来た」と言う守久さんの視線の先に、区画整理された田んぼの一本道を、前屈みになって自転車を漕いで来る婦人が見えた。

 

守久さんが焚き火をしている東京都羽村市根搦(ねがら)み前水田は、多摩川の流れが大きく南へ膨らんだ内側にあり、羽村市内にある唯一の水田だ。この地から、1956(昭和31)年に古墳時代終わり頃の土器が発見され、竈(かまど)を備えた住居があったことが分かっている。この地域は、1500年余の歴史が刻まれているのだ。

●取材地の窓口

 羽村市企画総務部 広報広聴課広報係

 〒205-8601 東京都羽村市緑ヶ丘5-2-1

 電話 042-555-1111(内337)

 

●取材地までの交通
JR中央線立川駅よりJR青梅線にて約20分、羽村駅下車。羽村駅西口からコミュニティバス「はむらん」羽村西コースに乗車し、いこいの里で下車。所要時間10分、一回乗車100円。コミュニティバス「はむらん」は、午前8時48分発からほぼ1時間に1本の割合で、1日に8本運行されている。

 

根搦み前水田を維持する47軒の農家で、羽(はね)用水組合が組織されている。宮川修(みやがわ おさむ)組合長(66)は、「田んぼだけやってるという人は、居なくなっちゃったかな。うちは水田2枚と畑3枚。最近は農家の数が減ってきてますから、需要は変わらないので、だいたいマッチングしてきたな。20年ほど前は、作っても売るのに苦労してた。どうして農業って成り立つのかなと悩むほどでした」と、勤めを辞めて農業を継いだ20年ほど前と比べて、地域の変化を振り返る。

「生活面では都市化が進むことで良いのですけど、畑の隣が住宅というのは機械を使う時や防除の時は、迷惑を掛けないように気を使いますね。ここ数年で、農家の跡継ぎが都内へ出て行って、家屋敷を売ってしまうところが出ていますよ。農家の実質賃金は1時間500円くらいかな。敷地が広いというのは優雅なんですよ。その優雅さがあるから『まぁ、いいか』と思えるけど、情緒的なものだから人に押しつける訳にはいかない。できるだけ田んぼの景観を維持しましょうとお話しはしますよ」

近所に遠慮しながら農業を続けるよりも、高い地価の農地を手放す農家が増えていることが、都市に近い農業地域の悩みである。住宅地の中に残る畑の一つ一つに「生産緑地地区」の看板が立ち、「街の緑を守る生産緑地の指定を受けている農地です」と但し書きがある。この指定を受けた農地は、一代は耕作を続けなければならないが、宅地だと固定資産税が5畝当たり2万円のところを9000円に減額されるメリットがある。都市化が進む地域の緑地を残しやすくするための制度なのだ。

宮川修さんは、突然訪ねた肩書きのない私を特に詮索することもなく、仕事の手を休めて快く話をしてくれた。人なつっこい人柄に肩の力が抜けてくるようで、安堵感が広がった。

 

水田と同じ高さの段丘に、羽加美(はねかみ)4丁目の集落がある。この集落を真っ直ぐ西へ抜けると、多摩川の土手に突き当たる。土手には、大きな木々が緑陰を作り小径が多摩川に沿って伸びている。地域の人々の散歩道になっているようで、犬を連れた住民を度々見かけた。小径を上流へ向かい、行き止まりの石段を上ると阿蘇神社だ。境内に入ると、平将門を討った藤原秀郷が天慶3(940)年に社殿を造営した際、手植えしたと伝えられる樹高18メートル、幹周り6.2メートルのシイの大木がある。

ひんやりと心地良い緑陰の阿蘇神社境内を抜け、東参道の鳥居を潜って見上げると、目の前に青いペンキが塗られた火の見櫓が立っていた。地域で火事が起こった時に半鐘を叩く人の気持ちを想像しながら見上げていると、傍らの農家で作業をしていた婦人が「火の見櫓のことだったら、小作庫生(おざく くらお)さんが詳しいよ」と、教えてくれた。家は、すぐ近くだ。

 

■次号(36号)は鳥取県で取材し、2014年7月末に掲載予定です。

 これまでに発行された季刊新聞「リトルへブン」のWeb版を読むことができます。

 

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