2014年(平成26年)7月・初夏36号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203

朝から小雨が降り続いていた。集落の山側にある棚田へ続く道路を横切ろうとする勇敢なカタツムリが、精一杯体を伸ばして雨の中を悠然と這っている。カタツムリを避けるように軽トラックが坂道を上って行った。荷台には草刈り機が一台。坂道を上ると、雨合羽姿の男性が、道路脇で草刈り機に燃料を入れている。

「写真撮ったらいかんよ。こんな雨の日になあ、仕事しよると笑われるわなあ。雨の日に仕事するような時代じゃないようになったけんなあ。家に居っても退屈だけん、2、3時間でも仕事しよか思うて出て来たとこやけんなあ」

村田健弘(むらた たけひろ)と名乗ってくれた。「歳かね。昭和15年5月生まれ、午前3時だったかな」。

村田さんは棚田の畦の草を刈り始めた。しばらくすると、棚田2段分の畦の草を刈り終わり、草刈り機の丸い刃を取り替えるため道路脇に戻ってきた。

「今日は、生憎の天気でなあ。気分が乗らずになあ、それでも仕事だけんなあと思って。別所は生まれたとこでなあ、こういう傾斜の地形でも、梨があったからな、生活できたけど。マルベツ梨はなあ、進物用の梨で人気だったから。百姓も還暦までだなあ、体力的になあ。こがんことしとったて飯は食っていかれんで」

 

鳥取県東伯郡湯梨浜町(とうはくぐん ゆりはまちょう)は、鳥取県の中央に位置し、町内にある汽水湖・東郷湖湖畔の羽合温泉と東郷温泉は古くから賑わった。町の中心部から県道29号線を中国山地の方へ少し行くと別所(べっしょ)地区がある。湯梨浜町の町名が表すように2004年10月に合併する以前の旧東郷町は二十世紀梨の産地として知られ、中でも別所地区の梨は「マルベツ」梨として別格の値が付いて取引されたという。

7月最初の日曜日。総事(そうごと)といって別所地区の全戸から参加して、集落を流れる別所谷川(べっしょだにがわ)に生い茂っている葦(よし)や雑草を刈り取る地区の奉仕作業が行われた。

 

朝5時半に、中ノ倉庫前に集合だ。夏とはいえ朝5時過ぎは、しっとりした空気が夜の余韻を感じさせる。昨日の雨は上がって、格好の作業日和りだ。手に手に草刈り機を持って集まった人々が遠巻きにする中、地区事業部長の土井明人(どい あきと)さん(65)が、時間きっかりに出席者の点呼を始めた。

「マルミズさん、マルノブさん、カネタダさん、マルアさん、ヤマカさん、カネタさん、カネワクさん、マルキンさん、……」

家の屋号で呼ばれていたのだ。

「屋号と言いますけど、親父は商標と言いよりました。前はいつも商標で呼んどりましたけど、若い人が商標は覚えにくいというので、だんだん使わなくなりました。けど、地区の集まりでは今も商標ですね」

二十世紀梨の出荷組合を地区単位で作っていた頃の名残りなのだと、秋田好明(あきた よしあき)さん(76)が教えてくれた。

点呼が終わると、草刈り機を手にした参加者は、割り当てられた場所に一斉に向かった。「今日は滑らんように、長靴を新しいのにしてきた」と、伊藤義英(いとう よしひで)さん(70)が真っ新の白い長靴を披露している。義英さんに年齢を尋ねると、「69歳にしといてぇな、ほんの6月に70になったばっかしだけん。恥ずかしいなぁ」と、少年のようにはにかんだ。

小気味よい草刈り機のエンジン音が集落に鳴り響いた。目の前に立ちはだかる葦の壁に切り込んでいく開拓精神の持ち主。急な斜面や川水の中をジャブジャブ進み、高い土手の草に挑む冒険心旺盛な人。丁寧に刈り込んで仕事の美しさを追求する人。それぞれの役割は、おのずと決まっていくようだ。若手と呼ばれる50歳代60歳代は密林を切り拓くような意気込みで、目の前に立ちふさがる別所谷川の葦の壁に立ち向かっていく。

「平たい所の草を刈るのは、大きい刃がいいんですけど。高い葦が密集しているような場所は小さい刃がいいんですよ。そういうんを考えて、刃を替えて刈らんとね」。屋号がヤマニシの西田重行(にしだ しげゆき)さん(65)だ。草刈り機で作業する男たちのシャツの背は、みるみる汗で濡れる。

長靴の丈より深い川の中でも、そのまま入り込んで奮闘していた区長の金涌義賢(かなわく よしたか)さん(66)が、「おーい、タバコ」と皆に声を掛けた。予定のおよそ半分が終わったところだ。冷たいペットボトルのお茶や缶コーヒーが配られる。思い思いの場所に座って、ひと休み。

休憩の後は総力戦の趣である。担当した場所を刈り終えた人から次第に集まり、全員で集落の山手にある棚田と梨畑近くの別所谷川の土手を刈るのだ。刈ったばかりの夏草の香りが、山からの風に運ばれてきた。

「秋になったらゴズゴ(クズ)の根を食べにイノシシが出てくるんですわ。春にはタケノコ。イノシシがひとしきり食べて、胃の調子が悪いといって諦めてから、人間がようよう食べることができるんですわ。マルベツ梨の頃は、下の集落から手伝いに来てもろてね。えらい人でしたわ。黄金時代がありましてね。その名残りで、どこの家にもカドヤ(納屋)が建っとりますけど。今では、梨つくったて儲かりませんから。きついばっかりで。ここは一つの会社のようなとこですから。皆が梨を作ってましたからね。いつも顔を付き合わせて、話題も共通してましたから。年に会合が10回以上もありよりました。決まっとるようなことでも、40何軒、皆が出て、決めよったですからね」

屋号がマルマンの橋本幸平(はしもと ゆきひら)さん(64)は、痩身だが梨の栽培で鍛えた体はパワーがありそうだ。「川の草刈りが終わって、一旦家に帰って朝ご飯食べて着替えると、もうひと仕事できますからね」。

橋本さんの言葉どおり、8時過ぎに別所谷川の草刈りが完了すると一旦解散したが、午前10時には再度集まって集落の集荷場の植木を剪定し、昼食後は、長栄寺境内の祠や中ノ倉庫の屋根のペンキを塗ることになっているのだ。

集合時刻になると集荷場の庭に、脚立を積んだ軽トラックがずらりと並んだ。農家でよく使われる車が軽トラックであることは全国どこでも同じだが、全員が脚立持参というのは梨農家の集落だからなのだろう。思い思いの木に脚立を立ててそれぞれの形に整えていく。

「自分が区長しとる時に記念樹で植えた梅で、やっぱり愛着がありますね」と、庭の角隅にある梅に登って丁寧に切り揃えているのは、秋田さんだ。「一人一人、やり方は違いますよ。個人流儀で、それぞれの家でやっとりますけんね」。秋田さんの軽トラックの荷台には、脚立の他に大きな黄色いポリタンクも積んである。「朝4時に起きて、町役場が提供している温泉を汲みに行くんですよ。保温タンクに入れておくと翌日も熱いですわ。100リットルが100円だったんですが、4月から消費税が上がったでしょう。100円で97リットルになりました。6分間で97リットル出てくるですわ。冬は小さいタンクに入れてコタツ代わり。夜までポカポカですわ」

昼食後は、長栄寺境内に祀ってある祠のトタン屋根のペンキ塗りから始まった。雨の日に草刈りをしていた村田健弘さんが脚立に乗って張り切っている。

「秋葉山(あきばさん)言うんだで、火の神さま」と、健弘さんが教えてくれたが、すぐさま、反対側の屋根を塗っていた河田征一(かわた せいいち)さん(72)が「火の神さまじゃないで、火事の神さまだで」と、反論してきた。

火の神さまだ、いや火事の神さまだと、ペンキを塗りながらお互い譲らない。そのうち、正面を塗り終えた征一さんが「そっちの裏は、タケちゃんがしよんだけんの、わしゃ知らんぞ」と、先に脚立を降りた。タケちゃんとは健弘さんのことだ。「何かお陰があるか思うて塗りよんじゃけど、お寺を守るちゅうのもえらいの」と、言いながら丁寧な仕事ぶりだ。タケちゃんは、秋葉山の屋根を塗り終えると、率先して中ノ倉庫の屋根に掛かっている梯子に登り始めた。

「誰ぞ(梯子を)持っとれよ。年寄り乗せといて、お前」とぶつぶつ言いながらも、結局、最後までペンキ塗りしていたのがタケちゃんだ。梯子の段に足が届かず、やっとのことで屋根から降りてきた時、区長の金涌さんが慰労の声を掛けた。「タケちゃん、ま、ジュースなっと飲めや」。74歳になっても、タケちゃんなのだ。

総事は無事に終了し、慰労会が始まった。タケちゃんは、ここでも主役。「ここでは、一升瓶ごと燗をしますけん」と、一升瓶を右手に、湯飲みを左手に酩酊気味だ。河原秀雄(かわはら ひでお)さん(78)と二人で差しつ差されつだ。「朝もとう(早く)から、なかなか総事はえらいだけど、今日は俺も本気だった」とタケちゃんが言えば、「宮崎から取材に来とるからな」と、合いの手を入れる秀雄さん。「ちいとこばえに(少し早めに)いぬる(帰る)わい。記者さん、ようたんぼこいて(酔っ払って)カメラをめがん(壊さぬ)ように」と、タケちゃんは私に気遣いながら帰って行った。

「別所谷川は、かって水害を起こしている川ですからね。だけん、総事でこの川を守っていこうということなんです。この川の上流から棚田を前景にして、集落を見下ろす風景がきれいなんですよ。別所自慢の風景です。総事は何よりも最優先。私は若い世代に入りますから、地域の一員としてやって当たり前じゃないでしょうか」。真面目な話題に引き戻してくれた黒縁メガネの西田文弥(にしだ ふみや)さん(53)は、屋号がマルモン。平日は勤めに出ているそうだが、草刈り機の扱いは手慣れたものだった。

●取材地の窓口
湯梨浜町 企画課

 〒682-0723

 鳥取県東伯郡湯梨浜町大字久留19番地1

 電話 0858-35-5304 http://www.yurihama.jp

 

●取材地までの交通
最寄りのJR駅は、山陰本線松崎駅。但し、松崎駅からは公共の交通機関はなく、歩けば別所地区まで約30分、タクシーで5、6分。松崎駅には、上下線とも普通と快速が1時間に1〜2本停車するが、特急は隣のJR倉吉駅に停車。倉吉駅からは車で15分ほど。

次号(37号)は岐阜県で取材し、2014年9月末に掲載予定です。

 これまでに発行された季刊新聞「リトルへブン」のWeb版を読むことができます。

 

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