2014年(平成26年)9月・秋 37号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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軽トラックがようやく通る急な農道が、大きく曲がり坂折川へ向かって下っていく。両側の棚田では稲刈りを待つばかりの稲穂が、山からの僅かな風に黄金色のさざ波を描いた。

「こないだきれいやった。十五夜は雲が掛かったけど、十六夜(いざよい)の月は良かったわ。嫁さんと見よったわ」。農道に座り込んで、お茶を飲んでいた小田五百子(おだ いおこ)さん(79)だ。彼女の両隣には夫の文夫さん(85)と嫁の恵理佳(えりか)さん(56)。土曜日に予定している稲刈りの準備をするところだ。

「圃場整備してない田んぼやもんでね。(先祖も)難儀したもんやろね。田んぼ作るにも大変やし、管理するにも大変や。ここは奥へ80メートルぐらいある細長い田んぼやもんで。さあ、もう今年いっぱいや」と言って、仕事を始める文夫さんが左膝を伸ばしたまま立ち上がろうとする。文夫さんは結婚したばかりの頃、大工として名古屋で働いていた。「名古屋城天守閣の内装をやらしてもらいよった訳よ。ほいで、お節句に家に帰ってきよっての、多治見(市)で交通事故に遭ってよ。脚を骨折して治らずに、やっとうかかっとるうちに脚が曲がらんようになったわけ」

文夫さんを先頭に、3人が鎌を手にして、棚田の畦に近いところから稲を刈り始めた。土曜日の稲刈りの時、孫が運転するコンバインの運転をし易くするためだ。ザックザックと小気味良い音を立てて稲を刈っていく。とても85歳になった人の仕事とは思えない。

「背骨へよ、金属(かね)を入れて調整しとる」と言う文夫さんは、力強い仕事ぶりだが、休み休みになる。セガミノを着けた五百子さんも、棚田の石積みに沿って黙々と稲を刈り取っていく。孫の家族を含めて身近な助っ人が大勢集まってくる土曜日の稲刈りを、今から楽しみにしている3人なのだ。

●取材地の窓口
恵那市中野方振興事務所

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 電話 0573-23-2111 Fax. 0573-23-2073

 

●取材地までの交通
JR恵那駅から恵那市自主運行バスで中野方線に乗り、野瀬バス停下車。所要 時間31分、料金は片道500円。平日は1日に7本、土日祝日は1日に5本。野瀬バス停からは、恵那白川線から中野方七宗線に入り、「さかおりお茶番処」(電話 0573-23-2032)まで徒歩で約25分。
自家用車ならば、中央自動車道の恵那I.Cから坂折集落まで約20分。(坂折棚田方面への看板あり)

坂折棚田は、恵那市を象徴する信仰の山笠置山(1128m)が、その裾野を目の前に広げる景観の良い棚田だ。岐阜県恵那市中野方町坂折(えなし なかのほうちょう さかおり)集落の約35世帯は、標高410メートルから610メートルの棚田に点在して暮らしている。人家が棚田の中に点在しているのは、坂折棚田の特徴だ。坂折には、「前田(まえだ)一反は、肥料無しでも作れる」という言い伝えがある。家のすぐ前の田んぼには、生活排水が日常的に流れ込み、肥料を施しているのと同じ効果があり、その上、屋敷に近接しているため手入れが行き届くというような意味だ。確かに、坂折棚田を上から下まで歩いてみても、荒れたままの田んぼは少ない。これは、棚田の保全と棚田農業の活性化を目的として、6年前に設立されたNPO法人恵那市坂折棚田保存会の役割が大きい。

理事長の田口譲(たぐち ゆずる)さん(80)は、「石積みの維持は大変よ。冬は、必ず田直しをやったもんよ。それでも、ここには貴重な棚田を親から子へ、それから孫へ受け継いでいこうという気風が根付いていますから。計算したら守れないですね。損得計算せんでも守る価値があると思って活動やっとるんです。住んどると分からんようになってね。なんでこんな田んぼ残してくれたと思う人もあるようだけど」と、経済的な価値観だけで棚田を守ることはできないと強調する。

坂折棚田保存会が運営する休憩所の「さかおりお茶番処」は、棚田を眼下に見下ろす絶好の場所にある。地区の人々も情報交換の場として頻繁に立ち寄り、いつ訪ねても賑やかだ。「さかおりお茶番処」からさらに上の段の棚田を歩くと、稲穂ではなくハスやマコモダケが生い茂る場所があった。

ハスの手入れをしていた柘植剛(つげ つよし)さん(70)が、少々怒ったような声で話し始めた。見れば、立ち入り禁止の立て札があちらこちらに立ててある。

「最初は、誰でも自由に見に来てもらうつもりだったんや。そのために簡易トイレと茶屋も作ったんやけど、マナーが悪過ぎ。トイレは汚し放し、ハスの花は切って行くし、畑の野菜まで持っていく。棚田を維持するためにやりよるんよ。3人の所有者から預かって、最初はススキの荒野。冬のうちに掘り上げといて、ススキの株を足で踏んで崩して、1年に棚田1枚ずつやわ。10年以上掛かって、1人で懐中電灯点してやりよりゃ嫌になるわ。今植わっとるのは、オオガハスと食用のハスやろ、黄色い花、青みがかった花、ピンクの濃いのと八重のハスやね。本当の気持ちは、世の中の生態系を自然に戻したいんや。山の中に虫はおらん、ミミズはおらん、動植物の生態系がない訳よ。スギ、ヒノキはね、水を吸い上げて、葉っぱから油を落とす訳よね。油が落ちるもんで、魚も住まんようになる、虫も居らんようになる。シカを悪う言うけど、結局、シカが人里に出るようにしたのは人間なんや」

剛さんはここまで一気に話すと、少し柔和な表情になっていた。剛さんの趣味は、オオスズメバチを捕ることだ。立ち話で、昼ご飯の時間をとっくに過ぎてしまっていても、ハチの話ならば尽きることがない。

「オオスズメバチは1分で800メートル飛ぶら。蜂蜜を混ぜた砂糖水でおびき寄せて、帰って行く方向を見定めて、巣を見つけて捕るんよ。やるかやられるかで腹括って、向こうが襲うか、こっちが捕るか。一遍は、山の向こうまで巣を見つけに行ったけど、下に水が通って石ばっかりの所やったもんで、こんな所に巣は作っとらんなあと思っていたら、ウォーンって唸る音がするら。見ると、足下は真っ黒になるほどハチが一杯。そんで逃げたけど、ハチは羽があるだけ早いわ。その時に13針刺されてよ。半分はあの世へ行きよったもんで。目が霞んで、声が出んようになっちゃて。ハチは唐揚げにするのよ。唐揚げも1回や2回だと噛んで口に残っちゃうけど、3回唐揚げにすっとね。それに塩コショウをパーッとするとビールのつまみに最高。目をつぶって食べたら、あんな美味しいもんはないわね」

この地方に、ヘボ(クロスズメバチ)の巣を捕って餌を与えて育てる、男たちの趣味があることは聞いていたが、オオスズメバチを捕るとは過激だ。剛さんは、坂折の風土が育んだ根っからの自然児なのだろう。剛さんも、棚田保存会で3年ほどは一緒に活動していたそうだ。詳しくは語らないが、「本当の棚田の保存というのはこんなことじゃないぞ」と考えて離脱したと言う。

「レンコンは欲しい人に配っちゃう。分けてくれと言う人にはやらない。収入にすると人間が汚くなるら。認めてくれまいと、俺は俺の信念を通しゃいいのよ」

剛さんの複雑な心境が伝わってくる。後日、剛さんの自宅をお訪ねすると、剛さんが建てた趣味の離れ部屋があった。耐火レンガを使った自作の囲炉裏があり、各地から集めてきた様々な色や形の自然石がぎっしり並べてある。天井には、虫を入れる予定はないと言うが、お城のような形の虫かごが幾つもぶら下がっている。炊飯器には、10日間かけて作ったというできたばかりの黒ニンニクが一杯詰まっていた。純粋で過激な剛さんを、そのまま表現しているような離れ部屋だった。

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