2014年(平成26年)11月・晩秋 38号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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「本当は、オリンピックに行きてえなあと思いよったけど、そんな甘い世界じゃなかった。良い経験はできたなち思うちょりますけど」と、智大さんが表情には出さないまでも悔しそうに呟く。小学校2年生の時から柔道を始めて、柔道のために親元を離れて有名中学校へ通い、高校も柔道をするために奈良県の天理高校へ入学した。単なる夢ではなく、智大さんの手の届くところにオリンピックはあったのだ。しかし、高校1年生の時の練習で左膝の前十字靱帯を断裂し半月板も損傷。そのため8か月間もの入院をした上に、ボルトを抜くための入院が続いた。

「やっと柔道がでくるごつなってガンガンやりよったら、またすぐに左膝が悪うなって、高校3年間で柔道しよったのは、1年もないかも知れん。大学まで柔道で行くこつを考えちょったんよ。それで、家に帰ってきても職業とは考えんで、手伝いのつもりで農業をズルズルやりよったんよ。1年目くらいは、何して良いか分からんままじゃったです。自分は生き物を育てるのが好いちょう方なんで、自分の仕事にしていこうと思い始めて、本腰入れて農地プランを作って新規就農したんが、一昨年の11月じゃったです」

1年目は「トマトが割れて割れて」出荷できるようなトマトはできなかった。「1年目は、惨敗やったですね。トマトが主体で、ホウレン草と白ネギをやっちょります。白ネギは穫り遅れて、今もまだ残っちょります。今年、白ネギは単価が良くないみたいで、やべえなあ。親もトマトしよると、親がうるさいけん、白ネギを始めたんやけど、値が下がりよるけん、なかなか本気にはなれんですわ。信用でけるのは家族かも知れんけど、壁になるのも家族かなと思いますね。トマトの玉がバーッとできた時は、真剣うれしいですね」

話が終わり頃になって「僕も名刺作ったんやけど」と、差し出された名刺には赤いトマトのカラー写真が印刷してあって、「世界一の百姓へ 穴井農場」とある。「どんなんが世界一か分からんけんど、確実に作れる技術さえ手に付けば、怖いものねえけ。大きく出てみました」。智大さんの本気度が伝わってくる名刺だ。

納屋で、収穫したホウレン草の出荷準備をする平山ヤス子さんたち

出会った途端に「ナナちゃん」「トモちゃん」と呼び合うふたり

「ありゃ鹿かイノシシか、どっちかな」。岡本信次さん(88)が、作草集落の棚田の中を流れる作草川の対岸に広がる牧草地を指差して言う。小さな点にしか見えない生き物だ。「ありゃ尻が白りいけん、鹿やな。ありゃ5メートルでも6メートルでも跳ぶけんね」。信次さんは、昭和31年に鉄砲の免許を取ってから、近くの宝泉寺温泉の旅館にシシ肉を卸してきたが、最近は鹿もイノシシもまったく売れなくなっている。そのため、田畑を荒らしに来る獣だけを獲ることにしている。

「以前は、周囲には舞いよるんじゃけど、中には入らんじゃったけん。夜中の1時ごろまで田んぼで待っとる時は来(こ)んで、人が行かんと早よ出たりして、賢いけ」

信次さんは、男手一つで子ども4人を育ててきた。

「43歳の時に家内が死んだんじゃ。子どもには高校までは何とかして出してやるけん、後は、悔いの無い人生を送れ言うて、自分のやれるだけはやってきたと思うちょる。ところが、自慢の長男が58歳で4年前に亡くなったけんね。全国を講演して歩くような地位になっとったけん。福岡で講演がある時には、忙しいても顔見せてくれよったんじゃ。ここを夜中の12時ごろに帰るちゅうて、長男を見送って峠まで行くと、北斗七星やら天の川が空にびっしり。峠で見ると、星様の大きさが違うように思うんじゃがね」

信次さん宅の仏壇の横には、亡くなった光雄さんの大きな遺影と略歴が飾られ、出版された著書が机に並べて展示してあった。栄えある将来を属望された長男を亡くした信次さんの無念さが伝わってくる。しかし、その無念を補うかのように、孫が婿を連れて5年前に帰り農業をしているのだ。孫の松田あずささん(29)には、桃果(ももか)ちゃん(3)と光之助ちゃん(2か月)の子どもふたりが居る。「栗原じゃ、ここ一軒しか、子どもは居らんのやけん」と、信次さんが今度は胸を張った。

夕暮れが近くなって智大さんの家を訪ねると、祖父の穴井正秋さん(76)が、外の運動場に出していた牛を牛舎に連れ込んでいる。親牛7頭、育成牛が3頭、それに、まだ名前の付いていない子牛が3頭居る。

穴井家では、智大さんが夏秋トマトとホウレン草、父親の勲さんが夏秋トマトと椎茸、祖父の正秋さんが畜産をしている。

「係りが違うもんだけん。いろいろやってますけど、百姓はなかなかです。鳩がいみ(増え)る。鹿がいみる。イノシシがいみる。天候にも左右されますしね。智大は、夜も遅うなって帰ってきよるごつあるが」と、正秋さんは智大さんを気遣っている。そこに、飼い犬のチビを散歩させて智大さんが帰って来た。手に、白ネギを2本握っている。

「こりゃ、一番端っこの方やき、土があんまり掛かってねえき、まだ短けえ。光が一番当たるんですよ。それで太くなっちょるけん。白がメインやき、何しろ白のところが長い方が良いような気がする。ここら辺の白ネギは、9月10月に出せると値段が良いんやけど」

すでに11月に入っている今、白ネギを出荷するかどうか、智大さんは迷っているようだ。智大さんと別れて、東の空を見ると、クヌギ山から、ミラクルムーンと呼ばれ171年ぶりに見られる『後の十三夜の月』が姿を見せたばかりだった。

寒さが少し和らいだ翌朝、智大さんの白ネギ畑へ行って見ると、雑草が少し目立つが、土をきれいに盛り上げ、立派な白ネギが育っていた。隣の畑を見ると、穴の開いた黒いマルチの縁に土を被せている男性が居る。先日の草刈りの時にジャンパーを忘れていた岡本和彦さんだ。

「タマネギの苗が来るき、その準備をしよっとです。4月に父が亡くなって、田畑の管理がですね。自分は勤めに出とったけど、いつかせないかんち思ちょったから、勤めは辞めてですね。栗原は、誰もが専業でやっちょるから、他には頼みきらんとですもんね。前から少しはしよったですけん、何ぼか、きつさは分かります。細々とでも生きていける百姓じゃないと駄目ですね。百姓が潰れたら国が潰れますけんね。なるべく肥料を使わないで、畑の力をどうやって引き出すかという実験ばっかりやっちょっとです。自分たちには、土の言い分は判らんですよね。その辺を、どう推し量ったら良いか考えてるんですけどね。(作物が)できたら、ありがとうちゅ(言)うて、感謝して食ぶるしかないですね」

黙々と鋤を使っている和彦さんが、そんなことを考えながら仕事をしているとは想像していなかった。後で、ナナヱさんに「あん子は、田んぼの前で手を合わせて仕事を始むっとよ」と聞いた。和彦さんにも、農業に対する特別な思いがあるようだ。

信次さん「うち一軒しか、子どもは居らんのやけん」。松田あずささん親子と

ミラクルムーンと呼ばれる後の十三夜の月がクヌギ山から昇る

白ネギ畑に姿を見せない智大さんに電話をすると、夏秋トマトの収穫をしていると言う。

「夏場に来て欲しかったなあ。良いトマトが無えけんね。(収穫するのは)良くて、あと5日かな。来週は、天気が悪そうだけん、霜は大丈夫じゃけど、逆に温度が上がらんき、赤くなるかが問題じゃけん」

新規就農を申請して、2回目の夏秋トマト栽培が終わろうとしている。

「今年の方が断然良いです。反省点があるとすれば、ホウレン草を植えちょるところがあるでしょう。あそこの切り替えが早すぎた。どっちみち10月末には霜でつまらんごつなると思うちょったけんですね。自然を見切っちょらんかった」

つくづく農業は、難しいものだと思わされる。

夜、平山鉄夫さん宅で、作草全戸の7軒から集まり「観世音講」が行われた。「時間は言うてないけど、暗うなり次第と言うちゃるけん」と、講元の鉄夫さん。「だいたい御講とも言うし、先祖供養じゃねえかと思うけど、分からんなりに年取ってしもうたんじゃ。以前には、昼からおなごん衆のじょうが寄ってね。料理作ってしよったけどな」。妻のヤス子さん(77)が、昔を思い出して相づちを打つように、「焚きもんをひと束ずつ担(かた)いで、竹の下まで行きよったんや」と言うと、手招きして私を台所に呼んだ。台所の大きなテーブルの上には、ゼンマイの煮染めやカボチャの煮物、白菜の漬け物とホウレン草の炒め物とおひたし、大根の酢の物などが大皿を重ねるように準備してあった。

「今は、仕出し屋からお膳をとるから大した料理はせんのじゃけど、仕出し屋の料理だけじゃと寂しいけんね」

全てヤス子さんの手作りなのだ。作草を訪ねた最初の朝、「ありゃ、人間じゃねえや」と言っていたのはヤス子さんだったと、この夜、判って大笑いだ。

そのうち、2人、3人と集まって賑やかになってきた。鉄夫さんと健さんが何やら言い合っている。「1000円じゃろ」「うんにゃ1200円じゃが」「何で値段が変わるんじゃ」「去年1200円に上げたんじゃけん」。お互いに譲らない。どうやら、ゲートボールの賞品として貰った酒を販売する価格のようだ。健さんは、九重町でも名の通ったゲートボールの名手なのだ。つい先日も、南山田町へ試合に行って酒3本を賞品として獲得したばかり。

「年に酒50本、もらうんじゃ。それでゲートボールの会費と飲み会に使うんじゃ」と、健さんことタケちゃんは、意気揚々なのである。

テツちゃんとタケちゃん、お互いは譲らないままだが、阿吽の呼吸で決着が付いたようだ。その時、何やら俯いて書き物をしていた鉄夫さんの長男、政孝さん(54)が「1軒、3248円」とみんなに声を掛けた。仕出し屋に注文した料理などを含む観世音講の会費である。諸経費を7等分して、均等に負担するのが作草観世音講のルールなのだ。

信次さんことシンちゃんの姿が見えないが、他は全員揃った。「シンちゃん、どうしたん」「いま電話したら、忘れとったちゅうぞ。今から行く言いよるけん」「ほんなら始めとこか」。全員が座敷に移動する。神棚と仏壇前の大きな座卓に、ひとり分ずつの皿と箸がきちんと揃えて準備されてあった。上座に座るのは、年の順と決まっている。シンちゃん、タケちゃん、テツちゃんの席だ。

講元の政孝さんが乾杯の音頭をとり、観世音講の宴は幕が開いた。猪口をカチンと合わせながら、年齢も男女も関係なく、お互いをちゃん付けで呼び合っている。

この夜は、作草集落の大事な決め事があるとのことで、早めに失礼して外に出ると、智大さんが「車まで送りますけん」と追いかけてきた。クヌギ林の上空におぼろな満月が浮かんでいる。明日は、雨かも知れない。

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